蓄えることには興味が無いが、使うことには興味はある。
つまり、蓄えるためには、使う目的が必要だ。
これはお金のことだけじゃない、技術や能力、知識、何だってだ。
(僕の場合カロリーは当てはまっていないようだが)
いつ使うことになるのか分からないまま、
蓄えることをはじめるとき、一応、使い道を想定しておく。
僕の周りには、蓄える能力に長けた人が大勢いて、
たいそうな使い道を想定しているひとも少なくない。
(蓄えること自体に興味があるならべつに好きにすればいい)
持っているものをどう使って生きるのがいいか考えると、
そんなもの自分がより幸福になるように使えばいいに決まっている。
ただし自分が幸福になる過程は、自分ひとりの閉鎖系では起こらない。
必ず、周囲に変化を残すことになる。
しかも、周囲の変化がまた、自分の幸福にも影響を及ぼす。
したがって、自分が幸福になるように使い道を想定するとき、
重要になるのは、
周囲をどこまでとするかだ。
次だ。根拠の無い確信。
システムバウンダリーを広くとっておくほうが良いのは、
システム全体を自分で設計・制御可能な場合だけではないだろうか。
いまの問題の場合、考慮する系を広げれば広げるほど、
判断不可能に陥ってしまうのではないだろうか。
前にも書いたけど、世の中はあまりにも複雑で、
個人が矛盾無く全体のことを語るのは殆ど不可能だろう。
けれど、系を狭く取りすぎるのもまた危険だ。
周りが見えないだけの愚か者になってしまう。
そこで落ち着くのは、せいぜい家族と恋人、友人だろう。
シンプルな結論。
あまり大きなことを考えて判断不能に陥るより、
自分の幸福のために、必要な武器を蓄えて、
身近な人を守れればいい。
というより、せいぜいそれくらいしかできないんじゃないか。
まだ若造だから実感は伴っていない。
けど自分なりに頭を使って導いた結論だ。
就活に妙にテンションがあがっている人を見ると思う。
いっとくが悲観的なのではない。
強い気概を持ってこう言っている。
- 2005/09/03(土) 11:45:03|
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最も尊敬する友人のひとりが、いいことを言った。
ここをクリック!しかし、僕が思うには、
(すこし文脈をずらしてるのはワザトです)
「忘却」と「反復」に意志や欲望は介在していない。
恐れるのは「忘却」ではない。
もう名画は「反復」できないのではないかという恐怖。
ふたたび描けない時期を「反復」するのではないかという恐怖。
けれども辿ってきた軌跡を振り返ってみると、
その恐怖さえ「反復」されているのに、強力な「忘却能力」の力を借りて、
いくつもの名画が生み出されている。
そのメタな視点は併せ持ちつつも、
現在の立ち位置は連続する軌跡の上だ。
依然、「恐怖」は「反復」している。
しかし、もうひとつのことにも気付いている。
この視点を持つことで「恐怖」はもとの恐怖では無くなる。
一方で、名画の輝きは、なお失われない。
- 2005/09/03(土) 10:40:55|
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